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金門戦地文化

金門戦地文化

基本説明

方位:金門島は福建省の南東、九龍江河口の外側に位置しています。台湾から西へ約270キロメートルに、アモイの外港から東へ約10キロメートルにあり、中国大陸の角嶼からの距離はわずか1.8キロメートルです。金門の地理座標は東経118度19分、北緯24度25分で、緯度は台中地域と同程度です。


対象地域:金門県の管轄範囲は金門本島と烈嶼、大胆島、二胆島など大小12の島に及び、総面積は151平方キロメートルです。金門本島は中部が狭く、東西は幅が広くなっており、東西の長さは約20キロメートル、南北は東端の最も長いところで約15.5キロメートル、中央部の最も狭い部分はわずか3キロメートルです。世界遺産登録を目指す地域の範囲は、テキ山坑道と九宮坑道の2カ所の重要な戦地遺跡、瓊林、水頭、古寧頭、珠山、山后、欧サク、浦辺、后浦頭、碧山、後浦歴史城鎮といった計10カ所の伝統集落の核心地域約7.7平方キロメートルです。緩衝地域の面積は14.8平方キロメートルで、範囲の総面積は約22.5平方キロメートルです。(テキ=羽かんむりに佳、サク=がんだれに昔)


環境紹介

金門は亜熱帯モンスーン気候に属しており、中国大陸の南東地域と沿岸から流れ込む寒波の影響で、冬は乾燥し寒く、春は霧が多くなります。一年のうち雨が多く降るのは4月から9月までで、年間平均降水量は約1000ミリです。島の地勢は主に花崗片麻岩からなる老年期の波状丘陵と赤土の台地、海岸低地で構成されています。低い台地がそれよりわずかに高い花崗片麻岩の丘陵を取り囲んでいて、丘陵地の大部分は金門国家公園の敷地内に含まれています。赤土の台地は主に金門本島の西部に分布しています。海抜253メートルの主峰・太武山以外には高く切り立った山はありません。河川は短く、海岸は曲線状になっています。


金門は長期にわたって開発が続けられてきましたが、現在でも特殊な生態景観が残っています。特にカワウソやカブトガニは台湾ではあまり見られません。カワウソは主に夜になると本島の水域に出没します。泳ぎや潜水が得意ですばしっこく、魚捕りの名人です。「生きた化石」とも称されるカブトガニは沿岸生物で、その成体は高潮帯の砂浜で産卵を行います。幼生は潮間帯に生息しているため、人類に捕獲されたり汚染や生息地の破壊などの影響を受けたりし、命を落としやすくなっています。そのため、カブトガニの存在は潮間帯の健全性を反映する指標になります。近年では生息地に人の手が加えられ、カブトガニの数はだんだん少なくなっています。また、金門の近海ではシナウスイロイルカの姿を捉えることもできます。


選出理由

4世紀初頭に中原の名家が移住してきたのを皮切りに、その後続々と唐、宋、元、明、清の人々が、1949年には国民政府軍がこの地にやってきました。金門の文化や経済、政治の歴史と1500年来の移民の動きは密接に結び付いています。移民は伝統的なビン南式建築群や難攻不落と称される特殊で勇壮な軍事遺跡、宗教信仰、冠婚葬祭や年中行事の風習など、多様な文化遺産を残しました。これらの文化遺産は「歴史回廊」を構成し、祖先たちの暮らしのあり様を感じさせてくれます。これは世界遺産登録基準第2項と第4項を満たしています。


金門ならではの戦地文化は「負の世界遺産」(対立、戦争、悲劇)から、「正の世界遺産」(和解、平和、喜劇)へと向かう望ましい教育と啓発の働きがあります。人類が平和共存を追い求めるという普遍的価値を表しており、世界遺産登録基準第3項を満たしています。


金門の伝統集落と住居配置の根本精神は宗法(祖先を同じくする血縁集団の規則)の倫理を体現しています。宗法、倫理は抽象的な支配の力で、具体的には「空間」の建設により強化されるとされ、このような空間に対する考え方により金門の伝統集落の形態が出来上がりました。古くの金門人が生計のために海を渡り、外来文化の影響を受けて故郷の金門に建てた「洋館」建築も内部の設計は宗法、倫理の制約を受けており、「伝統が第一、外来文化は二の次」という中洋折衷の建築に対する考え方が表現されています。これらの伝統集落は、現在では抗いがたい現代化の流れを受け、存続が危ぶまれています。これは世界遺産登録基準第5項に合致します。