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日本統治時代の銀行頭取宅、国定古跡に登録=文化部

  • 日付:2018-08-28
日本統治時代の銀行頭取宅、国定古跡に登録=文化部

文化部(文化省)は822日、日本統治時代の銀行頭取宅を前身とする「自由之家」など台北市内の3カ所を国定古跡に登録すると発表しました。


自由之家(中正区)は1902(明治35)年に台湾銀行の頭取の居宅として建てられ、1911年からは職員の休憩所「台銀倶楽部」として使われました。戦後は国防部(国防省)連合勤務総司令部によって、外国の貴賓をもてなす招待所とされ、赴任先から帰国した外交使節にもよく利用されたといいます。1950年以降は難民救助組織「中国大陸災胞救済総会」や反共主義組織「世界反共連盟」などの活動拠点となったほか、民主主義の理念を伝える政治雑誌「自由中国」の編集者らの集会、演説場所としても用いられました。


この他、同時に登録が決まったのは、清朝時代の邸宅「陳悦記祖宅」と米国の対台湾援助の歴史を語り継ぐ「大同之家」です。


陳悦記祖宅(大同区)は、中国福建省の建築様式を受け継ぐ邸宅です。清朝時代に同省泉州から台湾に移り住んだ陳家の2代目、陳遜言が1807年に伝統的な家屋建築「四合院」を建てて以来、一族の住まいとして増築が行われ、大邸宅となりました。建材として花崗岩や安山岩、玄武岩などが用いられており、敷居や柱、石窓などには彫刻が施されています。


大同之家(中正区)は、米軍事顧問団を接待する場所として1953年に建てられました。当時は、朝鮮戦争を機に、対ソ連封じ込め政策の一環として米国から台湾への経済援助が行われた「米援」時代(195165年)でした。建設案を主導したのは、米国の援助資金を活用するため設立された専門委員会のトップだった厳家淦です。1966年に副総統となった厳は1975年、蒋介石総統の病死に伴い、総統に就任し、同年、大同之家は総統官邸の一部に組み入れられました。