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「浮沈のカギを握るのは?:台湾における水文化」特別展

  • 日付:2019-07-02
「浮沈のカギを握るのは?:台湾における水文化」特別展

人類の文明は水のそばで生まれ、人々の移動、開拓も水域に沿って行われてきた。水は生命の源であるが、時に人々の財産、生命を脅かすものでもあった。そのため、人々は水との共生の中で、長い年月にわたり独特の水文化を発展、継承してきた。発生から今年で60年になる八七水害、10年になる八八風害という台湾史上における巨大風水害を振り返った時、しばしば水不足、洪水に見舞われてきた台湾に生きる我々は、今日の地球温暖化、気候変動といった問題にどう向き合えばいいのだろうか。


本展示は、経済部水利署水利規画試験所との協力により企画された。まず台湾特有の水文、地理を紹介、曾文渓流域の歴史的変遷からもわかるように、台湾には「干害も水害も起こる」という独自の難題が存在していた。沿岸に住む人々の洪水対策伝説、信仰文化から治水工事までを解説、最後に現代の人々が関心を寄せる水資源の問題について問いかける。気候変動の激しい今日、人々はどのように水と共生していけばいいのだろうか。


その飲み水はどこから来るの?


台湾の特殊な地形や水文の特性は、生命を育むと同時に脅威にもなってきた。環境適応の過程で、異なる地理環境に住む先人たちは、水にちなんだ地名、産業、民俗、信仰、俚諺、芸術創作等それぞれ特殊な水文化を築き上げてきた。


社会の発展とともに、水資源は容易に入手できるようになったが、便利すぎるために、人々は水の存在やありがたさを忘れることもある。今あなたが飲んでいる水がどこから来るのか考えてみよう。


暴れ馬のような曾文渓


曾文渓は、日本植民地時代において治水難易度の非常に高い河川であった。総督府の治水工事は完成まで15年を費やした。政府は米糖政策発展を通じたより多くの経済的利益獲得のため、変化が絶えない川筋を整備、今日の曾文渓の基礎を築き上げたのである。当エリアでは、日本時代の史料、地理学者や水利エンジニア、及び黙々とその工事に取り組んできた台湾人労働者を通じて、日本統治期曾文渓の川筋の変遷、治水に対する考え方などを振り返ってみたい。


我が家は水路の上にある:洪水と治水伝説


曾文渓はしばしば氾濫を繰り返してきた。日本統治時代に科学的測量による治水工事が行われたが、民間においては、それよりもずっと以前に伝説、信仰、民俗、転居といった特殊な「民間版」の洪水対策が行われていた。人々は環境に応じて、人と自然の関係に対する考え方、対処法を編み出してきた。それが、独特な台湾水文化となって今日まで伝えられている。


相次ぐ水害、浮沈のカギを握るのは誰?


台江(台南沿岸部の内海)に住む90歳の古老が「昔は洪水が来たら家を担いで逃げればよかった。未来の子孫たちはどこに逃げればいいのだろう」と嘆いた。極端な気候変動、都市化が進み、地方も工業化の時代、治水工事は進歩、発展を続けてきたが、水害は減るどころか増える一方である。大きな災害が生命や土地を脅かし、生命を豊かにするはずの水が、人々の命を奪ってきた。先人の水文化から私たちは何を学ぶことができるだろうか?その経験からいかに土地や環境を守ることができるだろうか?


2018年の823南台湾大水害は、水問題を忘れかけていた台湾に生きる人々に再度警鐘を鳴らすこととなった。政府は治水工事を推進、民間でも自主的な防災機制が構築された。環境問題に取り組み、自然な形で水との共生ができないかどうか、ともに考えていこう。


› https://jp.nmth.gov.tw/exhibition_65_408.html