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「民主学笑(笑いの学校):台湾における政治漫画」特別展

  • 日付:2019-08-15
「民主学笑(笑いの学校):台湾における政治漫画」特別展

総説


政治的メッセージが込められた漫画イラストは、何世代も前から台湾人の日常生活とともにあった。


18世紀以来、世界各地の漫画家はウィットでユーモアのある筆致、皮肉の効いた口ぶりで、複雑で荒唐無稽な社会を描いてきた。大衆はそれを見て楽しむだけでなく、漫画が伝えるニュースや時事問題にも関心を向けるようになる。台湾の新聞雑誌においても、政治漫画を通じて、国内外の政治ニュース、時事的話題、政令宣伝、有力者の動向などに対して、その理念の解説、評価、批判などが加えられている。


国家漫画博物館開館前の準備研究作業、プロモーションの一環として、「民主学笑(笑いの学校):台湾における政治漫画」特別展では、政治漫画を切り口として、娯楽として以外の「漫画」というメディアが、民主化の過程で、その複雑な立場の中で、どのように多元的なユーモアの力を発揮してきたのかを紹介したい。


我抵抗する、ゆえに我あり


日本植民統治初期の画報は、浮世絵の叙事スタイルを継承、文字とイラストによって重要な時事ニュースや人物のイメージを描写してきた。続けて大正年間の政府系新聞には一枚もしくは複数コマの漫画が登場する。そこでは社会の現状、政治情勢、市民の風俗などが題材として扱われていた。昭和に入ると、許丙丁、巨鹿生といった台湾人漫画家が台湾人の角度から警察と民衆のやりとりや衝突を描いており、とても興味深い。鶏籠生にも時局を風刺したり、台湾各地の風景、各業種の職業婦人、原住民の風俗を描いた漫画作品がある。


ああイライラする!


通信教育によって漫画を学び、結成された「新高漫画集団」は、日本統治時代から新聞雑誌上でそのペンを振るってきた。戦後1945年に『新新』が創刊されるとグループのメンバーたちは時事漫画によって時代の変化を記録したのである。メンバーのうち陳家鵬、葉宏甲、梁梓義、洪晁明、王花等は、第一世代の台湾本土漫画家に属する。彼らはペンを使って戦後台湾人が直面した茫漠とした境遇を描いた。貧富の格差、物価高騰、官民の癒着といった社会の混乱を描いた漫画が誌面に躍ったのである。


中国大陸へ反撃するぞ!


国民党政府は、効率的な統治基盤安定のために言論を統制、政治漫画が1950年代漫画創作の主流となる。外省人(戦後中国大陸から移住してきた人々)漫画家が主力となり、「反共」、「抗ソ」を主軸として中国ナショナリズムを宣揚した。匪区(中華人民共和国統治地域)の惨状を宣伝しながら、「二つの中国」の戦争状態を強調、戒厳令の正当性を暗示した。『図画時報』や『中央日報漫画半週刊』の誌面にも、凶悪な顔つきの毛沢東やスターリンがしばしば登場した。この時代の漫画は基本的に国家のために発言、民衆も口をつぐんでそれに従うしかなかったのである。


漫画は国家のために


冷戦期、漫画は政令の伝達役として、中華文化復興の役割を担わされ、教育システム内においても愛国心育成の一環となる。一方、同じ時期アメリカの援助によって創刊された『豊年』雑誌は新知識伝達のパイプ役となり、フローチャート式漫画によって水田栽培、救急手当の知識、豚回虫予防といった畜産知識を農家の人々に指導した。他にも、贅沢な婚姻への戒め、農民の国語(北京語)補習クラス参加奨励、方言(台湾在住者が従来話していた言葉、「閩南語」、「客家語」、各原住民言語など)の制限など、政党国家イデオロギーの浸透を図るものであった。


戒厳令解除?!


戒厳令や新聞発行禁止の解除、民主自由追求の風潮の中で、台湾政治漫画も異なる政党の立場、時事批評といった多元的な姿を見せるようになる。1980年代前後、「一枚の絵が千の言葉に勝る」政治漫画は黄金期を迎え、政論雑誌、新聞、さらには選挙の場にもエネルギッシュな政治漫画作品が登場する。著名な漫画家としては魚夫、Coco、羅慶忠等がいて、政治構造、政策、選挙関連事件、特定の政党や政治家を描いた。また、政府批判、改革促進主張を題材としたものも生まれ、イラストによって民主化の過程を記録したのである。


過激であるほど面白い


台湾は、民主化の過程で両岸関係、メディア独占、年金改革、同性婚、労使紛争など多くの難局に直面するが、こうした事件にはつねに漫画家の姿を見ることができる。318公民運動(2014年)の際に台湾農業の現状を描いた爻乂、石虎(タイワンヤマネコ)保護を訴えるKoKai、国家の主体性を論じるNageeや魔魔嘎嘎等である。彼らはSNSを通じて政治に関心を持ち、ウィットな筆致を公民運動の手段に用いた。人々はその作品のシェア、リツイートといったインターアクションを通じて事件の深刻さを知り、その運動によって社会の変革が進むように声援を送ったのである。


› https://jp.nmth.gov.tw/exhibition_65_412.html