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竹工芸の名匠 | 李栄烈

  • 日付:2017-06-20
竹工芸の名匠 | 李栄烈

李栄烈は南投県の竹工芸の名匠です。竹とともに歩んだ人生は半世紀以上にわたり、竹細工の創作や批評、指導と、竹工芸の伝承に力を尽くしています。また、竹工芸の技術と漆工芸を融合した独創的な「籃胎漆器」で、文化部から”人間国宝”に当たる「重要伝統芸術保持者」に認定されています。


1936年1月に南投県草屯鎮に生まれた李栄烈は、18歳の時、国立台湾工芸研究発展センターの前身である「南投県工芸研究班」の竹工科第1期生となります。竹工芸を学んでいた1954年、李栄烈は、日本で漆工芸を学んだ王清霜氏が日本から持ち帰った籃胎漆器を見て、竹細工の皿に漆を塗ったその仕様、その網目と色の組み合わせに強い印象を受けました。その時、李栄烈はいつか、漆工芸を学び、これを活用すると決意しました。


1984年、「台湾省手工業研究所」となっていた「南投県工芸研究班」が、漆工芸の指導者として陳火慶氏を招いたことで、李栄烈は陳氏から漆工芸を学び始め、-竹工芸と漆の融合-という長年の構想が前進します。この特殊な技法が籃胎漆器です。これは、木地に厚く漆を塗る一般的な漆工芸とは異なり、天然漆を塗った籃胎(竹で編んだ素地)の精密な網目が透けて見えるようになっているものです。


李栄烈は、竹の網目と形状を熟知しており、初の試作品である茶盤を製作してからも、漆塗りの複雑な工程を研究。技術がさらに熟練した1989年、籃胎漆器の茶道具一式を全国美術展に出品し、工芸類で1位を獲得しました。そして、積極的なコンテスト参加により、作品の知名度が向上、各地の展覧会に招かれるようになっていきました。長年の鍛錬で、李栄烈の創作の質と量は最高点に到達。1994年には、名誉ある教育部第10回「民族芸術薪伝奨」を受賞しました。


李栄烈が作り出した技術は、竹細工には液体を入れられないという制約を取り払い、さらには、漆の技術を習得したことで、「竹工芸」と「漆器」を融合した美も生み出しました。李栄烈の作品は、飾り気がなく篤実で実用性があるという特徴を持ち、その造形は簡素ながらなめらか。表面処理は完璧、装飾されてはいるものの、華美ではないスタイルです。李栄烈の竹細工創作と技術の伝承に対する信念と決意は、その人生のあり方を示しています。


竹工芸技術の将来について、半世紀以上の時代の移り変わりをみてきた李栄烈は常に、工芸の置かれた状況を誠実に直視してきました。当初、生計のために竹工芸を行っていた李栄烈ですが、手工業の転換や需要の変化に伴って、竹工芸の台湾での発展、没落、再生、継続の証人にもなったのです。