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台展三少年 | 郭雪湖

  • 日付:2018-12-03
台展三少年 | 郭雪湖

郭雪湖、本名は郭金火といい、台湾の日本統治時代の最も著名な画家の一人です。その作風は、中国の伝統的な水墨画と東洋画の理念を融合させたもので、西洋画の表現手法を広く研究して、日本画の伝統的なスタイルをより多様な境地に導きました。台湾の日本画における先駆者であり、重要な推進者でもあります。郭雪湖は、最も早く、台湾の風情や民俗を創作テーマとした芸術家でもあり、作品を通して、この台湾という土地への思いを表現しました。1927年、陳進、林玉山とともに、「第1回台湾美術展覧会(台展)」に入選し、彼らとともに「台展三少年」と呼ばれるようになりました。

 

郭雪湖は1908年、台北市大稲テイ生まれ。1917年に台北日新公学校に上がり、担任に絵画の才能を認められ、芸術の指導を受けるようになります。在学中、郭雪湖の美術、工芸の才能は群を抜いていました。1923年に公学校を卒業後、台北州立工業学校土木科に進みます。(テイ=土へんに呈)

 

しかし、郭雪湖は自分の志向と合わないことに気づき、ここを1年後に退学し、絵画を独学。1925年、母に連れられて有名な画家、蔡雪渓の門下で芸術を学ぶようになります。「雪湖」という名は、蔡雪渓による命名で、蔡雪渓は、郭雪湖の芸術への道を大きく開いた師でもあります。1927年、20歳にもならない郭雪湖は、日本統治時代の第1回「台湾美術展覧会」で入選を果たし、一夜のうちに有名になりました。

 

翌年、郭雪湖は、題材を台湾の土地で探すことを決めます。台北市円山一帯の風景に郭雪湖は強く引かれ、「円山附近」と題する田園風景の写生画を描き上げました。「円山附近」は、緻密な筆運びで、複雑な色合いが調和した郭雪湖の代表作であり、第2回「台湾美術展覧会」の特選にも選ばれた作品です。

 

4回台展賞を受賞した作品「南街殷賑」は、迪化街の霞海城隍廟の前の広場で行われる祭りの様子がテーマ。従来の横長ではなく、この作品は縦長の画面となっており、本来は2階建ての迪化街の商店を3階建てに描き、城隍廟を画面右下に配置しています。作中には看板や旗がにぎやかながらも整然と立ち並んでおり、道行く人々の群れと引き立て合っています。当時の様子が色濃く表現されたこの作品は、見る人を懐かしい気分に誘い、台湾文化の多元的な生命力を表現しています。

 

1964年、芸術のさらなる発展を求めて、郭雪湖は日本で国際的な現代芸術の研究に打ち込みます。その後、東南アジアや中国、米国、欧州なども訪れ、「中国名勝五十景」や「北美洲風景五十景」、欧州各国での創作を完成させます。多様な文化に触れ、郭雪湖は創作作品の内容をさらに豊かなものにしていきました。

 

郭雪湖は生涯にわたって創作を続けました。彼の作風と作品の内面からは、多元的で広い芸術的視野が見て取れます。台湾美術運動史をまとめた謝里法氏は、「郭雪湖の創作は、台湾の実際の経験が源になっており、台湾の近代美術の発展において、台湾精神を描き出した第一人者といえる。郭雪湖は、着実かつ力強く、本土の歴史から歩み出した画家だ」と述べています。