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馬祖戦地文化

馬祖戦地文化

基本説明

馬祖列島は台湾本島の西北に位置し、海を隔てて中国大陸・福建省のビン江口や黄岐半島、羅源湾に面しています。列島は、北は東引郷の北岸から、南はキョ光郷・林拗嶼の南岸まで、東は東引郷・世尾山の東岸から、西は南竿郷・津沙村の西岸まで。馬祖の行政の中心である南竿は、台湾までの距離が約114カイリ、金門までは152カイリ、澎湖までは180カイリ、ビン江口までは約54カイリです。(ビン=もんがまえに虫、キョ=くさかんむりに呂)


対象地域:馬祖は「ビン江口の外に天から撒かれた真珠」と比喩されるように、計36の大小の島々からなります。主な島には、南竿、北竿、東キョ、西キョ、東引などがあり、総面積は約29.6平方キロメートル、現在は福建省連江県に属しています。

環境紹介


馬祖列島は台湾海峡の西側に位置し、36の島から成り立っています。その様子は、ビン閩江口の外側に浮かぶ海上の真珠に例えられています。堅い花崗岩の地質や丘陵の起伏、曲がりくねった岩石の海岸が馬祖の基本的な地形の特徴。古くは6000年前、新石器時代の人類が島で生活した遺跡があるほか、漢代には海外に逃れたビン閩越族から興った起こった海洋民族、清代初期には、ビン閩東(福建省北東部)沿海部の漁民と一部の泉州人(福建省泉州の人々)が大勢移住し、この地の石を積み
重ねて住居を建築しました。入り江では、山に沿って等高線状に集落が形成され、現在の馬祖の独特の集落形態を作り上げました。国共内戦時、馬祖は重要な軍事拠点となり、坑道やトーチカ、スローガン、砲台など戦地である跡が刻まれました。山の起伏に沿ってめぐらされている坑道の密度は世界一です。


馬祖戦地文化は、世界が「熱戦」から「冷戦」へ、さらには現在の「平和共存」に向かうまでの過程にあって、最も整った形で保存され、最もよく実情を示した場所であり、世界で唯一の戦争文化遺跡です。ドイツのベルリンの壁は、一部が残されているだけであり、朝鮮半島の38度線は休戦状態。ベトナムでは、かつての南北間の溝はほとんどなくなり、馬祖対岸の福建省馬尾でも対峙していた時期の施設はほとんど保存されていません。一方で馬祖は、ビン閩東文化も加わり、世界的にも類を見ないみない存在となっています。


このほか、生物界ではすでに絶滅したとみられていた海鳥「ヒガシシナアジサシ」が、2000年に馬祖で発見されました。現在では、世界に50羽ほどしか生存していないとされるうち、世界最多の約20羽が馬祖で確認されています。


選出理由

1968年、馬祖地域の国軍は、攻防一体戦略の指導と作戦任務での必要から、南竿、北竿、西キョ、東引で、「北海坑道」、「安東坑道」、「午沙坑道」を築きました。工事は昼夜を問わず、人の手で堅い花崗岩を掘って行われました。これら、上陸用舟艇のために造られた地下の「坑道ふ頭」は、戦力を9日間維持するため、密度が世界一となり、独特の戦地景観が形成されました。馬祖島には至るところに「大陸反攻」、「蒋総統万歳」、「争取最後勝利(最後には勝利を勝ち取れ)」、「軍民協力」、「枕戈待旦(常に警戒を怠るな)」といったスローガンや、様々な地下石室、坑道、砲口、砲台、厨房、トイレといった防御に必要な軍事拠点があります。このような冷戦時の戦地文化景観は、当時の特殊な情景を映し出していることに加え、灯台や民間信仰の廟、石碑は、世界遺産登録基準第2項と第4項に当てはまります。


馬祖ならではの戦地文化は、「負の世界遺産」(対立、戦争、悲劇)から、「正の世界遺産」(和解、平和、喜劇)へと向かう、望ましい教育と啓発の働きがあり、人類が平和共存を追求するという普遍的価値を映し出しているという点が、世界遺産登録基準第3項を満たしています。