日本統治時代に活躍した台湾人画家、陳澄波に関する資料を網羅した「陳澄波全集」が12年の歳月を経て完成し、発表会が3月23日、台北市内で開かれました。
全集には、妻の張捷さんが残した陳澄波の遺物のほか、多数の芸術家や専門家による陳澄波の作品や手紙、写真、所蔵品の分析なども収められています。全18巻。孫で陳澄波文化基金会の董事長(会長)を務める陳立栢さんは、全集出版は陳澄波研究の始まりだと期待を寄せました。
陳澄波は1895年生まれ。1926年に「嘉義の町はづれ」で台湾人画家として初めて帝展(現在の日展)に入選しました。その後も複数の作品が帝展や台湾美術展覧会(台展)で入選しています。1934年には廖継春ら複数の画家と共に台陽美術協会を立ち上げ、美術展を毎年開くなど美術の普及に尽力しました。1947年、国民党政権によって市民が弾圧された「2・28事件」で、嘉義市民代表として軍との協議に赴いた際に身柄を拘束され、同3月25日、嘉義駅前広場で処刑されました。
発表会に出席した李永得文化部長(文化相)は、全集の出版は重要なマイルストーンだと言及。陳澄波を題材としたドラマの制作準備が始まっていることに触れ、映像業界に対し「陳澄波の物語を映画化する場合には、文化部は必ず全力で支持する」と呼び掛けました。
陳立栢さんによりますと、陳澄波を題材にしたアニメーション作品も作られるということです。