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「学校へ行こう:台湾近代教育」特別展

  • 日付:2018-11-01
「学校へ行こう:台湾近代教育」特別展

一緒に学校へ行こう


学校に入り、学生になり、教育を受けることは、大多数の人々が経験したことである。今回の「学校へ行こう:台湾近代教育特別展」は、学生の視点から、国家による近代教育を通じた理想的な国民養成の試みを紹介する。無知の我々がどのように教育により自己を知り、世界を眺め、既存の体制に不信の念を持ったり、挑戦したりする独立的な思考能力を育成するのか、また、教育を通じて近代台湾がどのようにそれぞれの独自性を保ちながらも一つのまとまった「共同体」社会に発展したのかを考えてみたい。


学校で勉強しよう:我々の中の我になる


我々はなぜ勉強するのだろうか?英才教育を重視する伝統的な教育とは異なり、日本時代から始まった近代教育は、より普遍性を持った国民全体を対象とした教育であり、集団的な、法制的な教育システムを通じて、思想を陶冶し、身体を鍛え、社会の共同意識の基盤を築き、それぞれ違った「我」を共同意識を持った「我々」に構築するものであった。そして、学歴は人が社会に役に立つかどうかを判断するバロメーターになり、人間の能力はラベル化、分類化、一つの新しい価値基準が形成され、我々を学歴重視の近代社会へと導いたのである。


教科書を開く:理想的な国民育成術


近代の学校がなぜ現今のような科目を教えるのかについて考えたことはあるだろうか?語学学習はお互いのコミュニケーションを可能にし、地理学と歴史は、世界や過去の出来事を理解する扉を開いてくれるが、その一方、そこには国家が押しつけるナショナル・アイデンティティも包含されている。数学と科学を通じて、我々は未知の世界を探り、現代の生活と向きう。体育や様々な実技科目により、工業生産システムの時代に対応できる身体と技術を培うことができる。美術と音楽は、我々の美意識や文化生活を豊かにしてくれる。さらに試験制度により、各種学習項目の習得効果が検証される。だが、理想的な国民とは誰にとって理想的なのであろうか?私たちは教育を受けながら、常に警戒心を抱き、普遍的な価値を備えた公民意識を追求すべきではないだろうか。


青春アドベンチャー:私たちの学校の記憶


最も印象的な学校の記憶は何だろうか?学業の重圧の下で耐えた日々、仲間との親しい関係、全力を尽くした試合、はやっていた活動や出版物、体制に対する反逆や反抗、一緒に行った旅行、語り合った将来の夢や希望、………未熟な青春時代に体験した全てのことは、私たちの人生に深い記憶を残し、一緒に青春時代を歩んだクラスメートは、時として家族よりもっと親密に感じる存在となる。


何年も経ってから:私の将来は夢ではない


子供の頃に作文で書いた「私の夢」を覚えているだろうか?あなたは期待通りの「私」になれただろうか?国家はそれぞれの時期に、国策に従った教育という手段で統治に必要な理想的な国民を育成してきた。体制を受け入れる者もあれば、抵抗する者もあった。これまでの教育のプロセスを振り返ってみると、教育とは我々にとって何だったのであろうか?その後の人生にどんな影響を及ぼしたのであろうか?学習に対する弁証法的な省察プロセスを重ねる中で、我々の真の姿が次第に明らかになっていくであろう。


https://jp.nmth.gov.tw/exhibition_65_397.html