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「アジアの至宝」漫画家-鄭問

  • 日付:2019-03-12
「アジアの至宝」漫画家-鄭問

アジアの漫画の巨匠と称される、鄭問(本名、鄭進文)は、デザイン会社12社を渡り歩いた後、自らのインテリアデザイン会社を設立。1983年に「全国漫画大会」で佳作を受賞し、同年、週刊誌「時報周刊」での連載「戦士黒豹」でデビューしました。また、中国の古典「史記」の「刺客列伝」を題材とした漫画作品を描き、華人として初めて、カラー水墨画の漫画を完成させました。

 

1989年の漫画雑誌「星期漫画」創刊時には、「阿鼻剣」で、独特の水墨画技法を展開。武侠漫画を新たなステージに引き上げました。この作品は、鄭問にとって初の長編連載でもありました。その後、講談社との付き合いにより、日本進出を果たした鄭問は、同社から「MAGICAL SUPER  ASIA–深く美しきアジア」「始皇」といった作品を出版しています。

 

1990年、鄭問は、講談社からのオファーにより、週刊漫画雑誌「モーニング」で、「東周英雄伝」の連載を開始。その画風の素晴らしさで読者を魅了しました。翌年、鄭問は、外国人漫画家として初めて、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞して、話題となり、日本の漫画界で「アジアの至宝」と称されました。しかし後年、鄭問は、ゲームのキャラクターデザインに力を入れ、漫画の舞台から離れました。

 

鄭問の制作に対する姿勢は非常に厳しく、人物の感情や、表情の描写は鮮やかです。また、歯ブラシやスポンジなどの日用品を使って創作することもよくありました。鄭問が得意としたのは、歴史や武侠、怪奇物。中国の水墨画の技法と西洋の絵画技法を融合し、そのタッチからは、軽妙で豪快な様子が感じられます。脇役の人物も表情豊かに描くなど、その表現は非常に変化に富んでいます。

 

MAGICAL SUPER ASIA–深く美しきアジア」は、1992年から1993年にかけて、鄭問が日本で連載したもので、彼のこの上ない魅力を味わえる作品です。鄭問は、漫画技法の常識を投げ捨てて、筆による創作を続けました。作画の技術やストーリー性が、人々に賞賛されたのはもちろんのこと、鄭問は、漫画を芸術作品と位置付け、かつてない芸術分野に上り詰めたのです。

 

2017年の鄭問の死去後、弟子にあたる鍾孟舜の奔走により、翌年、台北の国立故宮博物院で初の漫画作品展「千年一問-鄭問故宮大展」の開催が実現。鄭問の生前の作品や原画が展示されました。

 

その才能と勇気を携えて、漫画大国で活躍した鄭問は、日本人に、台湾にも「漫画の神様」がいることを知らしめました。天性の芸術的感覚で、歴史上の人物を多く描いた鄭問。鄭問はこの世を去りましたが、その名前と作品は、今後も生き続けます。