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写真の巨匠 | 柯錫杰

  • 日付:2020-08-10
写真の巨匠 | 柯錫杰

1929年、台湾南部の台南に生まれた柯錫杰は高校卒業後、化学メーカーに就職します。戦後もこの会社で働いていた柯錫杰ですが、台湾を離れる日本人工場長からウェルタの蛇腹カメラを贈られたことが、写真家としてのスタート地点となりました。


1959年、日本の東京総合写真専門学校に入って写真を学び始め、本格的にプロの写真家としての道を歩み始めます。この時期、柯錫杰はありとあらゆる世界文学の名作を読み、クラシック音楽を聴き、芸術的嗜好の幅を広げ、このことが創作における大きな力となりました。


1962年、柯錫杰は台湾南部の高雄で初の個展を開催。美術評論家の顧献樑を感嘆させ、1963年には顧献樑の導きにより、台湾に戻って活躍します。柯錫杰は台湾に戻ったこの時期、台湾の情景を殊の外多く残しています。今では名物となっている地鶏料理店が立ち並ぶ前の「月世界」や、まだ立ち入り禁止区域の赤線が引かれていなかった頃の野柳「女王頭(クイーンズヘッド)」、921大地震に遭う前の鹿港の龍山寺藻井など、レンズを通して台湾の重要な歴史を記録しています。柯錫杰は、コントラストの強いフィルムで撮影し、薄い現像液で現像することで、独特で素晴らしい「柯氏風景」を写し出しています。1967年にはニューヨークへ渡り、William Silanoの撮影助手や、「ハーパーズ バザー」、「エッセンス」といった国際的に有名な雑誌の特約カメラマンを務め、わずか十年のうちに、自らのスタジオを立ち上げるまでになりました。


都市、ビジネス、名利の中で、柯錫杰は徐々に作品の魂を感じられなくなり、1979年、絶好調だった仕事から離れ、アムステルダムで購入した中古車を運転し、欧州や北アフリカなどを放浪。この期間は、簡潔で独特な心象写真スタイルを作り上げた時期でもあり、「等待維納斯(Presence of Venus)」「金海」「Olay!Antonio」など、名声が広く内外に知れ渡る大作も生み出しました。この時期の一連の作品は、台湾で展示された際、一大旋風を巻き起こして、台湾の現代写真界に計り知れないほど大きな影響をもたらし、柯錫杰は「台湾現代写真の第一人者」と称されるようになりました。


柯錫杰は、芸術写真と商業写真の枠を超えて活躍し、その作品は内外の美術館に広く所蔵されています。フランスの有名な芸術出版社Cercle d'artが2005年、写真評論家のHerve Le Goffによる監修で、柯錫杰の写真集「KO SI-CHI」をフランス語版、英語版で出版。世界に販売され、台湾の写真芸術が国際的に脚光を浴びました。また、柯錫杰は、ニューヨークのHammer Galleryで展覧会を開いた初の写真家でもあります。


ノーベル文学賞受賞者で、フランス国籍を持つ中国出身の作家である高行健は、柯錫杰の写真を一幅の絵画だと述べ、台湾の詩人、紀弦は一編の詩だと評しています。詩とも絵画ともたとえられる作品は世界を魅了します。写真界では大物中の大物としての地位を築いた柯錫杰ですが、やはり写真を愛してやみません。「I will shoot till I stop breathing.」柯錫杰スタジオのサイトには、写真に対する柯錫杰の信念が存分に表現されています。


2020年6月5日夕方、柯錫杰は90歳でこの世を去りました。