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結晶釉の巨匠 | 孫超

  • 日付:2021-03-09
結晶釉の巨匠 | 孫超

1929年、江蘇省徐州で生まれた孫超は、8歳で戦乱により家族と離れ離れになり、15歳のとき、子どもの頃の記憶を頼りに実家を探し出しました。しかし、家は跡形もなくなっていたため、青年軍の募集を見つけて従軍。各地に移動する軍に伴って20歳のときに台湾に渡ります。16年間の厳しい軍隊生活が、孫超の強靭で諦めない精神を養ったといえます。


33歳のときに除隊し、勉強する機会がなかったことを残念に思っていた孫超は学問を志します。36歳という年齢で、当時の国立台湾芸術専科学校美術科に入学し、彫刻を学びます。学科主任の李梅樹先生と彫刻を教えた丘雲先生は、孫超が今でも感謝している恩師です。卒業から1年、孫超は国立故宮博物院の科技室に就職します。


故宮で見た結晶釉に魅了された孫超は、科学的な方法で、中国歴代の釉薬を実際に焼成して研究することを決意し、独学と度重なる実験により、窯焼きにおけるあらゆる種類の釉薬の配合を分析しました。


結晶釉とは、焼成後に釉薬の表面にできる金属酸化物の結晶体です。高温過程で結合、分解した釉薬の構造物が、冷却過程で核を生成して成長し、結晶が形成されます。また、結晶体の分子は不安定なため、温度や温度の持続時間がわずかでも変化したり、原料に少しでも不純物が混入したり、気候が急に変わったりすることで、結晶が変化したり、出現しないこともあります。このため、いかにして美しい結晶を生み出すかということは、一般的な釉式よりも非常に難しいとされています。


「陶芸は火の芸術だ」。孫超は施釉陶器で最も大事なことは火加減にあると体得。窯のそばから離れず、中の状態を観察し、炎の色が、鮮やかな赤紫から緋色、深紅、そして、高温での白になるまでを見つめ、まさに、「芸術の最高水準」という意味の中国語「炉火純青」にまで磨き上げました。


「彼の作品は、遠目で見ても、微細に見ても素晴らしい」。妻である金工芸術家の魏彤珈は、鑑賞者の視点から孫超の作品の美しさを語ります。孫超が生み出す結晶釉の器の特徴は、結晶一つ一つが完全で美しく輝き、凛として色鮮やか。釉薬の色は洒脱で水墨画のような描き方で、滴り落ちるような効果を生み出し、穏やかで心地良いことにあります。


孫超は1987年、中華民国国家文芸奨(賞)美術類奨を受賞し、台湾陶芸界では初の、そして唯一のこの賞を受賞した陶芸家となりました。1988年、作品「桂林山水大罐」「春塘大盤」が英国のビクトリア&アルバート博物館に所蔵されました。1989年にフランスのGalerie Jacques Barrere, Parisに、1990年には同じくフランスのMaison des Arts et Loisirs de Sochauxに招かれて個展を開催し、海外の専門家から絶賛されました。


1990年代以降の孫超は、フランス在住の画家である朱徳群やチェコ生まれでフランス在住だった画家フランティセック・クプカ(1871-1957)の抽象絵画の画風に触発され、大胆な創作を開始。まずは、大型の陶板画の制作に挑戦し、結晶釉とそれ以外の釉式を融合させ、さらに、撒く、散らす、塗る、描く、噴きつける、そして、釉薬を多層に重ねるといった技巧を加え、陶器の多様で豊かな質感と色彩を用いて、東洋文人の自然への思いを表現し、高温釉の絵画性と芸術的価値を確立しました。


1993年、ドイツのブレーメン、カッセル、マクデブルクの博物館に招かれて出展したほか、多くの作品が、ドイツのフリデリチアヌム美術館や米国のエバーソン美術館、英国の大英博物館に所蔵され、内外から称賛されました。


2009年、孫超は、台湾の新北市立鶯歌陶磁博物館による「第6回台北陶芸奨」成就奨を受賞。さらなる称賛と評価を得ます。2018年には、文化部(文化省)から「国家工芸成就奨(国家工芸功績賞)」受賞という栄誉も受けました。