メインのコンテンツブロックにジャンプします

歴史現場の再創造、高雄興浜計画 | 金融第一街

  • 日付:2023-03-24
興浜計画:哈瑪星港浜街町再生

高雄市政府は都市の近代化を起点として、「興浜計画:哈瑪星港浜街町再生」計画を提出し、文化部(文化省)のプロジェクト「再造歴史現場(歴史現場の再創造)」の補助金を獲得しました。このうち、「金融第一街」の再生・活用では、「旧三和銀行」や「貿易商大楼(貿易商ビル)」といった歴史的建築物の姿を修復することが重要項目の一つとなりました。


「哈瑪星」というエリアの名称は日本語の「浜線」が由来。台湾では初めて埋立地に近代的に整備された町で、近代化された高雄のスタート地点です。日本統治時代、高雄港駅(旧打狗駅)には、台湾西部を南北に走る鉄道である縦貫鉄路が通っており、また、高雄港による運輸・貿易で、あらゆる輸出入物資が高雄港に集まっていました。このため、金融、貿易、輸出入業が哈瑪星に拠点を設けており、商業が盛んでした。


現在の臨海一路、臨海二路一帯には以前、台湾商工銀行打狗支店や三十四銀行打狗支店(後の三和銀行高雄支店)、山形屋という書店、高雄郵便局、高雄信用組合、彰化銀行などが林立し、当時の政治経済の中心でした。高雄の「金融第一街」という栄えある名で呼ばれ、時代の繁栄と移り変わりを見届けてきました。


「貿易商大楼」は旧打狗駅前の一等地にあります。日本統治時代にはこの場所に「春田館」という旅館があり、太平洋戦争末期に空襲で焼け落ちたといわれています。戦後、1951年に4階建ての建物が再建され、当時は哈瑪星で最も高い建築物の一つでした。当初は中華民国政府に伴って台湾に逃れてきた人々の保護所や国防部(国防省)連合後勤司令部第二収支処事務所などとして活用されました。1963年、輸出入業の業界団体である高雄市進出口商業同業公会がこの建物を買い取り、翌年、正式に「貿易商大楼」の名称としました。オフィスとして使われたほか、一部は華僑商業銀行に貸し出されていました。


2014年に取り壊しの危機に直面した際は、高雄市文化局と同公会が、建物を保存して活用する道について話し合いを重ね、最終的に合意に至りました。文化局がリース管理により建物の保存と活用を進め、開発利用と文化保護の両面に対応。官民連携のモデルも作りました。


哈瑪星の貿易商大楼は1年余りの修復工事を経て、当初の様子と積み重ねてきた月日の痕跡をとどめた姿を取り戻しました。人造石洗い出しという手法の外壁、屋内にはテラゾーの床、鉄筋れんが造り、鉄筋コンクリートの床版、木造の戸や窓、西洋式木造トラスの屋根などがあり非常に特徴的です。また、夜間のライトアップにより、建物のクラシカルな姿が光の効果で文化的な温かさと懐かしさを際立たせています。


貿易商大楼が修復され供用開始となったことを受けて、文化局は特別展を開催。歴史の説明や昔の写真、模型、映像などを展示し、より多くの人に金融第一街の輝かしい歴史の歩みを知ってもらいました。これは金融第一街の改修のスタート地点。興浜計画では引き続き、旧三和銀行や山形屋、愛国婦人会館などの修復を行います。また、駁二芸術特区や鉄道文化園区、哈瑪星歴史街区と連携し、港エリアの再生と、優れた人や文化の集まる新たなランドマーク構築を進めます。


「興浜計画」の対象範囲は主に、西と北は寿山を境とし、東は哈瑪星の旧軌道、南は高雄港のウオーターフロントまで。この計画の目的は哈瑪星地域の姿を再生することです。各エリアの特色により、「親山」、「築港」、「復鉄」、「興町」という四つのテーマを設けて全体の計画を進めます。文化財一つ一つの保存から、「線」や「面」としてのエリア保存にまとめ上げ、哈瑪星を歴史的魅力のある住みやすい環境にしていきます。


(写真提供:高雄市政府文化局)