承恩門(北門)は、清朝統治時代の城郭、台北府城にあった五大城門のうち唯一、閩南式の建築様式を保っている城門です。光緒10年(1884年)に完成した承恩門は、台湾の新式城門の代表作で、台北市エリアでは数少ない現存する清代建築の一つ。台北府城のほかの城門とともに、中華民国国定古跡に指定されています。
現在の台北市忠孝西路と延平南路、博愛路の交差点に位置する承恩門は、台北府城の正門でした。この門は、北向きであることから「承接天恩(天からの恩を受ける)」の意味を取って、承恩門と名づけられました。清朝時代、一般的に南門から台北城に入った庶民とは違い、朝廷から台湾に派遣された地方官僚らは皆、承恩門から城内に入りました。
北門とそのほかの三つの城門(1905年に撤去された西門、1966年に改修される前の東門、南門)はいずれも、密閉型のトーチカ式城門で、小南門とは異なります。櫓(やぐら)部分の外壁は、赤れんがでできており、櫓内部の空間は完全に囲まれた造りとなっています。また、屋根から台座までが一体になっており、強固な構造です。アーチ部分近くの北側外壁の上部には扁額(へんがく)があり、「承恩門」の三文字が書かれています。
戦後間もなく、北門を含めた四つの城門は、長年にわたって手入れがされず、また、重視もされていなかった結果、傷みが日に日に激しくなっていました。1976年、北門高架橋の工事が開始されましたが、学者らの尽力により、市政府は、北門の場所を避けるルートへの変更に同意しました。北門高架橋の完成から十数年間、北門は、高架道路の本線と延平南路ランプに挟まれていましたが、幸いにも、大きな損傷はありませんでした。北門は1983年、内政部から国家一級古跡に指定されました。2015年には、台北市が台北駅周辺の開発計画「西区門戸計画」推進に向けて、北門の景観を損ねている北門高架橋の撤去を決定。この計画は、承恩門、台北郵便局、台湾総督府鉄道部、台北鉄道工場など九つの清代、日本統治時代、戦後から現在までの文化遺産をとりまとめて、「記憶都市区」として再構築するもので、失われた百年余りの古い町並みを再現し、かつての台北府城への入城を新たなイメージとして再現します。
2017年8月、北門広場が完成。北門広場は、日本統治時代の鉄道や三線道路など様々なデザイン要素が融合されているほか、清代の古城壁の配置と工法が再現されています。広場には合わせて11の解説パネルが設置されており、北門の昔から現在までの歴史や、近隣の古跡スポットなどを紹介しています。