台南司法博物館(旧台南地方法院)は、日本統治時代に建てられた裁判所で、当時の台湾三大建築の一つと称されました。台湾で現存する最も歴史ある裁判所の大型建物で、日本統治時代の西来庵事件(抗日武装蜂起)もここで審理されるなど、台湾の重要な司法の歴史を見届けてきました。この建築物は国定古跡に登録されています。
日本統治時代の台湾総督府は1896年、「台湾総督府法院条例」を公布し、台湾の司法制度を、地方法院、覆審法院、高等法院の三級三審制に変更。当時、高等法院と覆審法院は台北にのみ設置され、各県には、一部の支庁でのみ、地方法院が置かれました。台湾総督府は1898年、高等法院を廃止し、この際、台北と台中、台南だけに地方法院が置かれることとなりました。
台南地方法院は、清朝時代に馬兵営街と呼ばれた場所(現在の台南市中西区)に建設され、1912年に完成。第2次大戦後も引き続き使われましたが、1969年、壁の亀裂が見つかったため、西側の塔が取り壊されました。内政部は1991年、この建物を国家2級古跡に指定しました(現在は文化部が管轄する国定古跡)。この建物は、台南地方法院が2001年4月、安平区の第5期再開発区に移転して以降、司法博物館として改修。2016年に改修作業が完了し、11月8日から見学可能となりました。
台南地方法院の建築は、複雑な造形に美しい比率で造られており、マンサード屋根に美しい石のうろこ形瓦が用いられ、荘厳で華麗。19世紀の欧州で大変流行したスタイルで、日本が台湾を統治していた20世紀初頭、建設された多くの建物で、このマンサード屋根を取り入れていました。ただ、現在では、当時のままのマンサード屋根を保存するのは、台南地方法院のみとなっています。
屋根には屋根窓(このうち、丸いものは「牛眼窓」と呼ばれます)が配置されています。風通しを良くする機能があり、暑い地域によくみられるデザインです。屋根ごとにデザインの異なる屋根窓は、装飾と通気の役割という、美しさと実用性を兼ね備えたものとなっており、デザインした建築士の柔軟で軽やかな発想が表れています。
台南地方法院が建設された20世紀初頭はちょうど、欧州のルネサンス建築が流行しており、しばらく使われていなかった古代ギリシャ・ローマのオーダーが、改めて使われるようになりました。このため、台南地方法院の正入り口ロビーは、巨大な梁と柱で構成され、明快なラインと美しい比率で造られています。また、正面入り口と副入り口の正門には、美しいバロック様式の門飾りがあります。
この古跡では現在、一部を少年法廷と少年観護の業務に使い、一部を司法に関する文物の展示に活用しています。こうすることで、保護者が補導を受ける少年に付き添いながら、時間のある時に文化に触れることができます。古跡に新たな命を吹き込むことに加え、文化財の保護と司法の伝承においても、大きな意義があります。