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新竹日本海軍第6燃料廠

  • 日付:2021-05-11
新竹日本海軍第6燃料廠

1895年の日清戦争後、清が日本に台湾を割譲し、台湾では50年にわたる日本統治時代が始まりました。第2次世界大戦に向けて、燃料工場の整備を始めた日本政府は、日本海軍の第6燃料廠を、台湾南部の高雄と北部の新竹に設置することを決めました。


日本海軍第6燃料廠の建設は、1939年に準備が始まり、1944年に完成しました。本部は高雄・左営に、副本部が新竹市に置かれました。高雄が米軍の爆撃を受けたため、本部はその後、新竹に移されました。この燃料工場は、台湾の植物を利用して航空燃料を製造し、海軍の航空隊に供給することが主な目的でした。当時の総督府天然瓦斯研究所と協力し、キャッサバとサトウキビを発酵させて、ブタノール、イソオクタンを作るといったことを行っており、バイオマス燃料の研究開発における先駆となりました。


新竹日本海軍第6燃料廠の敷地は広大で、発電所エリアの高さ60メートルにもなる大煙突のほか、研究開発棟、オイルタンク、第6燃料廠化学工場、第6燃料廠貯蔵施設(後に台湾中油の貯蔵施設)、海軍消防湖(現・清華大学の成功湖)、総督府天然瓦斯研究所などの施設があります。全体で約百万坪の土地に、大小計314の建物が建ち並んでいます。


1945年、第2次世界大戦が終結し、新竹日本海軍第6燃料廠は接収、移転され、公営の石油会社である台湾中油と国防部(国防省)に引き渡されました。また、政府は、ここを台湾に移ってきた軍人やその家族の住む「眷村」として使用しました。


台湾中油は発酵工場を引き受けた後、これを石油貯蔵施設に改造しましたが、2019年にオイルタンク11基を撤去しました。そばにある幹部職員の宿舎エリアは、経済部(経済省)から研究開発機関である工業技術研究院に引き渡され、光明新村と改名。清華大学キャンパスに隣接したこのエリアは、工業技術研究院の幹部職員住宅になっています。


1955年、経済部は職員宿舎エリア、下士官クラブ、人工湖など40甲(1甲=9699平方メートル)の土地と建物について、清華大学が使用することとしました。2010年には、大煙突が歴史建築として登録され、台湾で現存する最大規模の第2次世界大戦に関する軍事工業遺跡群となりました。


 新竹日本海軍第6燃料廠は、第2次世界大戦に関する遺跡と、日本軍、中華民国軍、米軍の関わりを同時に残す特殊な歴史の場となっています。


2017年、新竹市政府は、文化部(文化省)による文化財保存プロジェクト「歴史現場再現計画」の補助を取り付け、修復工事と保存計画を行い、このエリアを「大煙突遺跡芸術村」とすることを企画。新竹日本海軍第6燃料廠の保存活用に関連する一連のプロジェクトを始動しました。第6燃料廠文化園区や博物館の整備を推進し、地元住民に、新竹日本海軍第6燃料廠の日本統治時代から、空軍工程連隊の進駐、眷村となった過程や様子をより身近に感じ、理解してもらうことを目指します。


第1期工事では、この場所の歴史的情景を再現。まずは、建美路に面した眷村の住居6棟の簡易的な修繕を行うほか、大煙突そばの住居も整備し、保存計画とアーティスト・イン・レジデンスのためのスペースとして先行使用します。また、燃料工場の大煙突内に台湾では珍しいヒナコウモリが発見されたことから、コウモリ生態博物館の設置も計画。アーティストのためのスペースでは、大煙突に関する文献史料や第6燃料廠のドキュメンタリー、ヒナコウモリのライブカメラなどを展示するほか、アーティストとのコラボによる第6燃料廠を素材とした創作なども行います。


第1期工事は2021年に完了予定で、続いて第2期の修復工事が始まります。修復工事と活用計画により、市民や眷村の元住民が、第6燃料廠を再び訪れ、ここが日本統治時代の軍事施設だった頃から、眷村になるまでの過程や様子を思い返すことができるようになります。