基隆要塞司令官邸は基隆港東岸にあります。ここは1930年代、基隆で最もモダンなエリアでした。官邸の目の前には台湾初の海水浴場「大沙湾海水浴場」があり、非常に見晴らしがよく、当時の高級住宅といえます。基隆要塞司令官邸は、元は流水交通社社長の流水伊助という日本人の私邸で、1931(昭和6)年に建てられました。流水交通社は基隆でも早期にできたバス会社で、基隆駅と八尺門を結ぶ路線を運営。このため、基隆要塞司令官邸は「基隆流水バス社宅」とも呼ばれていました。建物は木造と土壁の「土蔵造り」という伝統的な工法で建てられており、外壁は下見板張り。外階段の欄干や壁は人造石洗い出しという手法と幾何学的な彫刻で装飾されています。間取りは和洋折衷で、和室には床の間や押し入れ、天袋もあります。庭は禅の思想が反映された造りで、海辺の絶景が見渡せるものとなっています。また、優美な芝生の庭やモザイクタイルで作られた池があり、かつての贅沢な邸宅の様子がうかがえます。
第2次世界大戦後に国民党政権が台湾に入り、少将の司令官邸が砲撃を受けて壊れると、要塞司令官邸が流水社宅に移され、軍事的な「基隆要塞司令官邸」となりました。基隆要塞は1957年に廃止されましたが、最後の司令はここに住み続けました。1977年に李氏一族がこの建物を取得し、1998年まで居住していたため、「李宅」とも呼ばれました。
基隆要塞司令官邸は2006年12月7日、市定古跡(市指定の史跡・文化財)となりました。建物と土地は国防部(国防省)の所有でしたが、2016年2月に基隆市文化局の所有となりました。同市は2017年、中央政府から前瞻基礎建設(将来を見据えたインフラ建設)計画の補助を獲得。「市定古跡基隆要塞司令官邸」を史跡として整備する「大基隆歴史場景再現整合計画」に盛り込み、文化部(文化省)による文化財保存政策である「再造歴史現場(歴史現場の再創造)計画」の一部としました。再造歴史現場計画では、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)といった最新技術の活用を提案し、さまざまな方法で文化財の説明を行うことを推進して、文化財を利用したり、訪れたりした人々の歴史的体験を豊かにすることを重視しています。これにより、代々伝わる文化財を適切に保存して、持続的に維持運営し、国際的にもアピールできる台湾の名所としていきます。
基隆要塞司令官邸は多くの部分が崩れていたため、修復に向けた調査が困難でした。このため文化局は、市民から千枚近い写真を集めて、建物の原型を描きました。また、建築士と共に所有者だった李家の家族を訪問し、李家の人たちの記憶と古い写真から建物内の様子を手探りでまとめ上げました。官邸の屋根はさまざまな様式が組み合わされており、一般的な日本の建物とは大きく異なった、流水伊助の独自のスタイルが表現されています。瓦の組み合わせやつなぎ目など細かな所は、設計時に修復チームを大変悩ませました。建築士が各種屋根の模型を作り、左官職人や大工、瓦職人が試行錯誤した末に、構造、排水などさまざまな面を考慮した修復が完了しました。このほか、写真から分かったことは、流水伊助は自宅を建築する際、入り口玄関の柱頭に「銅包柱」という柱巻飾りで一族の象徴を残していたことです。ブロンズ色の表面で、円の中に「水」の字が表され、さまざまな曲線を連ねてシンボルが描かれており、これは「蝙蝠(コウモリ)」の絵柄で「招福」を表現していると推測されています。
基隆要塞司令官邸は、基隆市文化局により3700万台湾元余りを投じて修復され、2020年に竣工しました。歴史が刻まれた要塞司令官邸は時空がリセットされたかのよう。人々は、禅の思想に満ちた、みやびなかつての日本の邸宅にいざなわれ、古跡が経てきた歳月と温かみを感じられるでしょう。
写真:基隆市文化局