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世界で2番目に古い油田 | 苗栗出磺坑

  • 日付:2022-07-11
世界で2番目に古い油田 | 苗栗出磺坑

清朝咸豊年間の1861年、当時の記録によりますと、人々は苗栗県を流れる河川・後龍渓の水面に油が浮いているのをよく見かけており、程なくして、地下から湧き出てくる石油で明かりを取ったり、火をたいて炊事ができたりすることを発見しました。当時の人々はこの油を「地油」や「硫磺油」などと呼んでいました。出磺坑油田を最初に採掘したのは現地と原住民(先住民)の管理を担当していた邱苟という人物でした。この油田が発見されたのは、米ペンシルベニア州タイタスビルのドレーク油田が世界で初めて採掘されてからわずか2年後のことで、出磺坑は世界で2番目に古い油田といえます。しかし、ドレーク油田はとうに生産を停止しているため、苗栗出磺坑は現在も生産を続けている最古の油田ということになります。


清朝政府は1887年、初代台湾巡撫である劉銘伝の在任時、苗栗に鉱油局を設置し、苗栗出磺坑で本格的に最初の油田を採掘し始めますが、見合わないコストや技術力不足のため、採掘は停止されました。その後、日清戦争後の1895年からの日本統治時代になって、1901年に日本の当局が専門家を派遣して掘削を行い、当初設定した99の油井を全て完成させました。日本の当時の工業用需要の大きさが分かるというものです。しかしその後、日本政府は東南アジアを重視するようになり、この油田は廃れていきます。


1964年、苗栗出磺坑の油田は枯渇が宣言されましたが、台湾でエネルギー事業を継承していた公営企業の台湾中油は諦めませんでした。より進歩した技術や新型の設備、掘削に携わったスタッフの長年の努力により、改めて地質の深部ボーリングを行い、ついに、近くに新たな油井を発見しました。当時は国を挙げて歓喜に沸き、ここが「台湾のクウェート」になるという人までいました。石油大国のような石油生産量ではありませんが、100%「台湾産」のエネルギー資源であることは確かです。


1990年代、台湾中油は苗栗出磺坑に記念公園を整備しました。日本統治時代に建設された建物を数多く残し、当初の油井のあった所にはトーチの記念モニュメントを設置し、当時採掘に使用していた機械なども置かれています。このほか、「台湾油鉱陳列館」も建てられており、館内には苗栗出磺坑に関連するものが展示されているほか、貴重な文献史料や歴史的な品の実物も保存されています。


文化部(文化省)は2017年から「将来を見据えたインフラ建設(前瞻基礎建設)計画」の補助を受けて、「歴史現場の再創造(再造歴史現場)」を推進しています。出磺坑は2019年のリニューアルで、VR(仮想現実)を活用した展示エリアが増設され、来館者がかつての出磺坑の様子や発展を体験できるようになりました。2020年、苗栗出磺坑は文化部の補助を受けて、「苗栗出磺坑鉱業歴史現場活化発展計画」をスタートしました。台湾中油や客家委員会、交通部(交通省)観光局といった機関のリソースと連携し、現在の地域文化の保存から一歩進んで、客家の文化性や国際性、地域的な石油産業の特殊性、独特な景観、文化財保存の統一性を守り、人々の参加意欲を盛り上げることが期待されています。


丘陵地帯にある苗栗出磺坑ですが、現在では歩道が整備されており、往復2時間程度で行けるようになっています。道中には、採掘従業員の宿舎や油井、トロッコ列車のレール、さらには、隠れスポットのアブラギリの花の道もあります。アブラギリの花が雪のように舞う「五月雪」の時期には苗栗を訪れて、丘陵での花見をしつつ、生産を続ける世界最古の「純台湾産」油田を見学するのはいかがでしょうか。


(写真は中央社と苗栗県政府文化觀光局提供)