台湾の漫画家である邱若龍は長年、原住民(先住民)の歴史文化を熱心に研究し、国内初となる原住民の歴史漫画『霧社事件』を描き上げました。また、ウェイ・ダーション(魏徳聖)監督は、この作品の影響を受けて、超大作映画「セデック・バレ(賽徳克・巴莱)」を撮影。台湾の観客が改めて自身の歴史文化を知るきっかけとなりました。この映画は、中華圏を代表する映画賞の金馬奨で、最大の栄誉である最優秀作品賞を受賞しました。
漫画家である父の邱錫勲の影響を受けて、「子供のころのおもちゃは紙とペンだった」という邱若龍。1984年、たまたま訪れた台湾中部・南投県霧社の山地で、現地のセデック族の友人ができ、集落の老人の話を聞くうちに、霧社事件に興味を抱くようになりました。そして、長年かけて集落を訪ねまわり、史料を収集し、1990年に長編漫画『霧社事件』を発表しました。この作品が出版された頃はちょうど、原住民運動が盛んで、そこで追求されていた「民族の尊厳」という潮流が作品とマッチしました。また、この作品が描いた霧社事件の主人公、モーナ・ルダオの原住民のイメージとその行動も、運動に大きな力を与えました。
霧社事件が起こったのは1930年、台湾は日本統治時代でした。「それまでは、霧社事件に対して、多くの人が持つイメージは、『野蛮人の暴動と、日本政府による残酷な鎮圧』という紋切り型のもので、セデック人に深く根差した信仰(Gaya、セデック文化でいうところの「家訓と規範」)、あるいは、一人の『人間』として生きる価値によるもの、と考える人は少なかった」歴史の真相を後世の者がどのように判断したとしても、邱若龍は、セデック族の立場でこの事件を取り扱いたいと述べています。
邱若龍は漫画の創作以外にも、カメラを担いで、霧社事件の生存者による歴史の口述や、残されたあらゆる資料をフィルムに記録し、1998年に16ミリフィルムで撮影したドキュメンタリー「Gaya」を完成させました。この作品は金馬奨の最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされています。その後、邱若龍は台湾の原住民に伝わる神話伝説をアニメ映画化したほか、霧社事件を背景としたテレビドラマ「風中緋桜」の美術監督や、映画「セデック・バレ」の美術顧問を担当しています。
邱若龍は漫画で歴史を伝え、史実に寄り添い続け、時代考証の壁を乗り越えて、セデックの民族精神を改めて鮮明に浮かび上がらせました。漫画作品『霧社事件』は日本語版、フランス語版も出版され、台湾の原住民の歴史文化が、海外読者にも多く知られました。邱若龍は次のように語ります。「文化とは、観光客に気に入られる飾り物にあるのではなく、人目を引く外観にあるのでもない。文化はときに、老人の衣装タンスに潜んでいる。なぜなら、そこにこそ、驚くべき美しさの編物技術があり、感動的な物語があるからだ。注意して見なければ、見えないものだ」