謝理発(ペンネームは謝里法)は1938年、台北の大稲埕で生まれました。1959年、国立台湾師範大学美術学科を卒業。26歳の時にパリに渡って版画と彫刻を勉強、版画は夜間に学んでいました。
1968年、謝理発は米ニューヨークに移り住み、シルクスクリーンの制作に励みます。作品は、さまざまな主要国際版画ビエンナーレで入選し、海外の美術館に収蔵されました。謝理発の代表作には、「玻璃箱与嬰女」「給聖者的献礼」「戦争与平和」といったシリーズがあります。
謝理発は32歳で執筆を始め、国内の出版物に寄稿して、欧米の現代美術を紹介しました。1977年には「珍重!阿笠――在信中与阿笠談美術」「徐悲鴻――中国近代写実絵画的奠基者」を出版しています。
1978年、台湾社会がまだセンシティブな状況だった時期、謝理発は著作「日拠時代台湾美術運動史」を出版し、同書は後に第2回巫永福評論奨を受賞しています。同書は日本統治時代の台湾の美術発展を研究した重要な作品で、台湾美術史研究のスタートとなった作品でもあります。当時、台湾本土の芸術家は社会的にほとんど知られておらず、同書が台湾美術史の扉を押し開けたのです。
謝理発は42歳の時、「紐約的芸術世界」を出版。わずか4年の間に「芸術的冒険――西洋美術評論集」「台湾出土人物誌」を出版しています。人物誌では、日本統治時代に名声をはせながらも、歳月の流れに埋もれ、今では知られていない芸術家8人について描いており、画家の陳澄波や詩人の王白淵、音楽家の江文也などを取り上げています。
謝理発は1988年に台湾に戻り、「重塑台湾的心霊」と「我的画家朋友們」の2作品を出版。後者は、台湾、香港の芸術家15人の創作の時代背景と歩みについて書き記しています。同書は、芸術家それぞれの代表作も掲載しており、その時代の絵画史の証人といえる作品です。
1994年、謝理発は芸術家の廖修平、陳錦芳と共に巴黎文教基金会を設立。「巴黎奨」を創設し、優秀な青年芸術家の海外修業を後押しします。58歳の時から、国立台湾師範大学大学院美術研究科で教え、彰化県では環境芸術も推進。同県福興郷福宝生態園区では、流木374本で創作したインスタレーション作品「漂流光座標」を設置しています。同年、「ごみの美学」をコンセプトとした芸術展を国立台湾美術館で開催しました。
59歳の時に「探索台湾美術的歴史視野」を出版し、60歳の年には廖修平、陳錦芳と共に、パリで
「台北―巴黎 三剣客グループ展」を開催。2年後には「台湾心霊探索」「我所看到的上一代」を出版しました。71歳になっても執筆を続け、3年の時間を費やして完成、出版したのが「紫色大稲埕」です。同作は、台湾近代美術史の人物を小説に仕上げたもので、台湾という地にささげる素晴らしい美術の贈り物です。同年、謝理発は台湾美術院院士(アカデミー会員)となり、75歳の時に「変色的年代」を出版します。
2013年、謝理発は国際芸評人協会の終身成就賞を受賞。作品はフランス国立図書館やニューヨーク近代美術館、国立台湾美術館、国立歴史博物館に収蔵されています。2018年には、第37回行政院文化奨を受賞。行政院文化奨は、台湾の文化界で最高栄誉とされています。
謝理発は絵画の功績だけでなく、知識人として、早くから著作を通して、西洋美術の思想的流れを台湾に紹介し、台湾の美術の発展にも力を入れました。また、小説「紫色大稲埕」は、連続ドラマ化されて視聴者から好評を博し、人々が改めて台湾の文化的情緒を知ることにつながりました。