彭坤炎は1958年、台湾北部・新竹県生まれ。14歳の時から漆器に関わり、紅木(ローズウッド)家具の会社で見習いとなり、漆塗りの仕事に就きます。その後、独立して日本からの受注仕事を手掛けますが、80年代後半、台湾の紅木家具は海外生産が進み、経営が厳しくなります。そこで彭坤炎は1986年、日本の友人の後押しもあり、漆芸の創作に転じます。美術系の学校出身ではなかった彭坤炎は独学で、中国語の古い書籍や日本の漆芸の書籍を多く調べて研究し、最終的には日本のものとは異なる「堆漆(ついしつ)」という技法を自ら作り上げます。一般的な漆器は、木や布などに漆を塗っていきますが、堆漆ではこうしたものを使わずに漆だけを塗り重ねていきます。漆が乾くのを待つ必要があるため、一日に塗り進められるのはわずか。作品一つが完成するのに6~10カ月、それ以上かかることも往々にしてあります。彭坤炎の作品は、現代彫刻の思想と自らの主観的な考えを融合したもので、頭の中だけで作品をイメージし、空気に触れて変化する天然漆を調整します。ときに、堆漆でようやく出来上がったものが満足いかず破棄することもあり、妥協は許しません。
彭坤炎は、美術界は書道と絵画の団体ばかりだと感じ、1995年に「竹林雅集」を設立し、工芸の各分野の名手7人と互いに切磋琢磨して精進し、定期的にグループ展を開催してきました。また、彭坤炎は2012年、国立台湾工芸研究発展センターから、傑出した工芸家を認証する第5回「台湾工芸之家」に認定され、技法の伝承や推進、教育に力を注いできました。独自の堆漆という技法を「工芸」から「純粋な芸術」という地位にまで高め、伝統的な漆芸を基礎として現代彫刻の思想を吸収し、細かな質感や温かみのある上品さで芸術界や世間で注目された彭坤炎は、2011年には台湾の文化部(文化省)文化資産局から「無形文化資産」の保存登録を受けました。
彭坤炎の作品は欧州やオーストラリア、米州、日本などから招かれて展覧会に出品されてきたほか、さまざまな賞を受賞。1997年からは日本の「日本文化を担う・漆の美展」に招かれて出品しており、今までにこの展覧会の特別奨励賞や日本漆工協会会長賞、林野庁長官賞、文部科学大臣賞、農林水産大臣賞を受賞しています。2006年の「日本漆工協会会長賞」受賞では、この賞を受賞した初の外国人となり、桂宮宜仁親王に謁見しました。
2019年には作品「潮音」で第26回「日本文化を担う・漆の美展」で最高賞である「農林水産大臣賞」を受賞。「潮音」は、故郷である新竹・南寮の海辺にインスピレーションを得た作品で、主な素材は天然漆です。メタル色の層を幾度にも施し、夕焼けに照らされた打ち付ける波、その音が響き渡る光景を表現しています。同年、作品「南島風光」が日本最大の総合美術展である「日展」に入選し、国際レベルの「台湾の光(台湾の誇り」とたたえられました。翌年には、作品「包容」が2020年の明治神宮の「鎮座百年祭」の奉納漆器に選定され、明治神宮に収蔵されました。これは、彭坤炎が漆芸創作に打ち込み、20年以上にわたって台湾と日本の漆芸文化交流に尽力してきたことが高く評価されたものといえます。「包容」は堆漆技法によって作られたもので、制作には10カ月以上かかりました。同作品は宝瓶(ほうひん)のように丸みを帯び、そのラインは滑らかで、全てのものを広く受け止め包み込むことを表しており、社会の平和安定を希求したものです。
数十年にわたる取り組みで、彭坤炎は台湾の漆芸界に力を尽くしたいとの思いが生まれました。今までに日本との交流展を幾度も開いてきたほか、2020年には文化部に「伝統髹漆技芸伝習教案編さん」計画を提出。作品「雲湧」の創作過程を撮影し、文字の記録と解説を付けて、教材としました。これにより漆芸技術が伝承されていくことでしょう。