黄麗淑は1949年、台湾南部の屏東県里港郷に生まれました。国立台湾芸術専科学校(現在の国立台湾芸術大学)美工科を卒業し、まずは、中学の美術工芸教育に携わりました。その後、台湾省手工業研究所(現在の国立台湾工芸研究発展センター)設計組で勤務。工芸品のデザイン開発とメーカーの指導に当たりました。1984年から民族芸術家の陳火慶(Chen Huo-ching)について漆芸を学び、また、陳火慶を招いて手工業研究所での授業も行いました。黄麗淑は、陳火慶のために伝承計画を立てたり、ライフヒストリーを執筆したり、芸術特別展を開催したりといった方法で、台湾の漆芸史に不朽の創作の足跡をしるしました。また、そこから漆器工芸発展の歴史の軌跡を描き出しました。
黄麗淑は芸術創作への愛と工芸発展に対する使命感をもとに、日本の東京文化財研究所で「蒔絵」の技術を、沖縄県工芸指導所では沖縄特有の漆芸技法「堆錦(ついきん)」を学びました。さらには、中国福建省でも中国伝統の漆芸技法を学んでいます。その際には、伝統工芸の匠(たくみ)から漆線と呼ばれる技法や金箔貼りなども習っています。また、日本統治時代の台湾総督府の漆器を掘り下げて研究したこともあります。こうして黄麗淑は、芸術に対する深い知見や技術を築き上げました。
1999年に公務員を退職した後は民間の芸術家として、漆芸の教育と研究創作に力を注ぎました。今までに、国立台南芸術大学の博物館学与古物維護研究所、国立雲林科技大学の文化資産維護学科の教授として、漆芸技術の教育に当たりました。また、地域での工芸推進にも取り組みました。さらに、南投県草屯に「游漆園」を設立して、漆芸の伝承カリキュラム実施や展覧会といった文化交流の場とし、奥深い工芸技術のために尽くし、これを伝承しています。
黄麗淑の作品によく使われる技法としては、模様の部分を盛り上げる「堆高」、金属箔や金属粉を漆に混ぜる「薄料」があります。また、作品保護のため、装飾が落ちないよう表面を天然漆でコートする「罩明」という技法をよく使用しています。このため、色調が暗めで、落ち着いた印象を与えながらも、表面には明るい光沢感が生まれます。このほか、台花や螺鈿、卵殻といったさまざまな漆工芸技術により、内に秘めた美を積み重ねています。黄麗淑は、漆で表面を保護してこそ作品の完成と考えています。漆でコーティングされた作品の色彩は鮮やかさが抑えられ、暗めになるものの、やはり表面保護により装飾が落ちるのを防ぐことが大事だとしています。このため、彼女の作品は「含みのある色彩」「落ち着いた色調」といった印象を与え、これが独特のスタイルになっています。
黄麗淑が出版した主要な著作には、「従伝統出発的文化創意産業叢書3-黄麗淑与台湾漆芸」(伝統を起点とした文化クリエーティブ産業叢書3-黄麗淑と台湾漆芸)(2003)、「漆器文物保存修護調査研究:以国史館台湾文献館典蔵日治時期総督府日用漆器為例」(漆器文物保存修復保護調査研究:国史館台湾文献館収蔵の日本統治時代総督府の日用漆器を例として)(2006)、「台湾蓬莱塗漆芸発展与工法形制分析研究」(台湾蓬莱塗漆芸の発展と工法、形、構造の分析研究)(2009)があります。また、黄麗淑に関する書籍には南投県政府文化局が出版した「游漆天地:黄麗淑的漆芸無尽蔵」(游漆天地:黄麗淑の漆芸無尽蔵)(2019)もあります。
黄麗淑は1988年から1990年の間、3年連続で台湾省全省美術展覧会の美術設計部門で第1位となり、1990年には同展覧会の永久審査免除美術家資格を得ています。1991年には日本のジャパンデザインコンペティション石川で銀賞を受賞。2005年に文化部(文化省)が指導し、国立台湾工芸研究発展センターが主催する第1回「台湾工芸之家」に認定されました。2009年に南投県政府に南投県伝統工芸―漆工芸保存者に登録され、2021年には文化部から重要伝統工芸―漆工芸保存者として認定されています。
(写真は文化部文化資產局提供)