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台湾本土文学の作家 | 葉石涛

  • 日付:2021-08-16
台湾本土文学の作家 | 葉石涛

葉石涛は台湾の現代文学作家で、小説や評論を中心として、散文や翻訳も手掛けました。1925 年、台南市生まれ。実家は商売で富を成し、地元では有名な地主の家庭でした。19 歳の時、台南市立第二中学(現・台南第一高校)を卒業し、作家の西川満が主導する雑誌「文芸台湾」の出版社で編集アシスタントに就きます。同年、「文芸台湾」で、「林からの手紙」と「春怨」の小説 2 作品を発表。少年のロマンを描き出し、異国情緒を好む西川満から高く評価されました。


1945 年、戦争が激しくなる中、葉石涛は自身の文学態度に対する反省と批判、また、西川満との意見の相違から、離職を決意。台南に戻り、台南市立人国民学校の教師となります。戦争末期、葉石涛は、台湾新文学に関するさまざまな書籍を読むことに没頭し、そこから、台湾新文学と、力強い民族精神の発揚のため、力を尽くすことを誓います。


戦後 4 年間、葉石涛の文学は、当時の新聞「中華日報」や「台湾新生報」に不定期ながら掲載されました。1946 年、政府が日本語での新聞・雑誌発行を禁止すると、日本語での執筆が身についていた葉石涛は、日本語で書いた作品を翻訳してもらわなければ、作品発表の機会がないという状況になりました。


この時期、葉石涛の作風に大きな変化はなく、依然、ロマンある異国情緒に傾倒していましたが、内容としては、役人の圧迫に反抗する民衆ということにテーマを広げていました。


1951 年、葉石涛は「知匪不報(共産党員の存在を知りながら報告しない)」の罪で懲役5 年の刑を受け、3 年服役。獄中では中国語を独学しながら、台湾語(台湾閩南語)と日本語の表現方法を用いて、中国語で執筆するということに取り組みます。こうした言語的障壁を克服する上での苦しみと焦りは、葉石涛のその後の文字に深く刻まれていきます。出所後の葉石涛は、嘉義県でなんとか小学校教師の職にありつきます。 


葉石涛は 1965 年、雑誌「文星」に「台湾的郷土文学」を発表し、文学評論の執筆を始めます。3 年後、初の小説集「葫蘆巷春夢」と初の評論集「葉石涛評論集」を出版しました。


1969 年には中国文芸協会の第 10 回文芸奨章文芸論評奨を受賞しています。


1987 年、初となる台湾文学史の著作「台湾文学史綱」を出版。非常に意義のあることだとして、第 10 回中国時報文学奨文学特別貢献奨を受賞。晩年は、自伝的な散文を次々と発表し、筆が止まることはありませんでした。


2008 年 12 月 11 日、高雄榮民総医院で病気のため、83 歳で逝去。2009 年、高雄市の中央公園内にある高雄文学館で、葉石涛を記念した銅像が除幕され、2012 年には、台南に葉石涛文学記念館がオープンしました。


葉石涛の文学人生は、日本統治時代と戦後、2 つの時代をまたぎ、60 年の長きにわたるものでした。文学を一種の信念、天職、象徴とし、それはまさに、葉石涛の精神を具現するものでした。もし、台湾文学の発展における特徴を 1 人の作家を取り上げて概略を語るとすれば、葉石涛をおいて他にいないでしょう。


社会を反映し、文化と歴史を保存する。葉石涛はかつて、次のように語っています。「私が執筆する使命はただ 1 つ、それは台湾文学を確立することです。その国には、その国の文学があります。台湾の存在を証明するには、台湾の歴史を書き出すことが必要となります。それにより、台湾の時代と社会の移り変わりを鮮やかに表現できます。また、台湾人の文化と、思想が進展してきた様子を効果的に残すこともできます。私の使命は、台湾には台湾自らの文学があるということを明確に定義することなのです」