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渡米した画家の作品、台湾“帰郷”へ 鄭文化相「美術史再建」への意欲強調

  • 日付:2020-01-07
渡米した画家の作品、台湾“帰郷”へ 鄭文化相「美術史再建」への意欲強調

米国に晩年移り住んだ台湾の画家、故洪瑞麟さんの作品が台湾に“里帰り”することになりました。炭鉱で働く傍ら、炭鉱労働者の生活を絵画で描いてきたことから、「炭鉱画家」として知られる洪さん。晩年は米カリフォルニアの沿岸地域に移住し、太陽や雲、海をテーマに絵を描き続けました。

洪さんは日本統治時代の1912年に台北で生まれ、1930年に日本に留学。帝国美術学校を卒業しました。フランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けたとされます。1938年に台湾に戻ると、30年余りにわたり、北部・瑞芳の炭鉱に勤務しました。1980年に長男の鈞雄さんと米カリフォルニアの沿岸地域に移住してからも制作活動を続け、1996年、心筋梗塞のため84歳で亡くなりました。

洪さんは晩年、美術館を設立するか、作品を国に寄贈してほしいとの願いを家族に伝えていたといい、この遺志を引き継いで遺族が台湾への寄贈を決めました。

台湾美術史を専門とする成功大歴史学科の蕭瓊瑞教授は12月下旬、国立台湾美術館の専門家と米ロサンゼルスの鈞雄さんの自宅を訪れ、作品の点検・整理に着手しました。蕭教授は同29日、洪さんに関する講演をロサンゼルスで行い、作業の様子を明かしました。

蕭教授によると、作品数は床にひざまずいて整理をしないといけないほど多く、1930年に描かれた素描を含め、保存状態は良好だという。

「われわれは洪瑞麟をぞんざいに扱ってきた。『炭鉱画家』の呼称で彼を単純化するのは、ゴッホを『狂気の画家』と単純化するのと同じだ」と蕭教授。洪さんの作品には高い素描力と芸術としての厚みがあり、単なる「炭鉱画家」の肩書では説明できないと語りました。

台湾では今年、米国に移住した企業家、故許鴻源さんが所蔵していた台湾人画家の作品が台湾の文化部(文化省)に寄贈され、今年8月、中部・台中市の台湾美術館でその一部がお披露目されています。